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由緒 抑も當山は、応仁元年三州徳川家四代松平親忠候の時、本是院日護聖人が安城に一寺を創立し、大光山善立寺と称せしに始まる。 後に岡崎に移転し、天正十九年第四世壽仙院日得聖人、徳川家康公江戸入府の際に随伴し、内幸町に境内八千坪を拝領、岡崎より山号寺号を 移し、新たに江戸善立寺を開創す。 爾来、家康公の歸信篤きにより安祥譜代同様の寺格を有し、身延山久遠寺の末頭にして、瑞輪寺、宗延寺と並び江戸三大触頭の一つに列す。 慶安元年下谷新寺町に移り、乗輿独礼を許されるとともに安藤対馬守重長、宮崎備前守時重らの下護を受け、塔頭十箇支院を有せし名刹と なる。 然りといえども慶応四年江戸幕府が終焉を迎え、維新の廃仏毀釈運動により當山も大きな痛手を被り、後の関東大震災においては諸堂悉く 焼失す。 昭和六年第三十世慈守院日元聖人、宗祖六百五十遠忌の事業として本堂を復興させるも、昭和二十年東京大空襲の火災に遭遇し再び灰燼に 帰す。 昭和二十六年第三十一世慈承院日林聖人、浅草永住町より現在の千住八千代町に境内を移し、壇信徒加護のもと本堂客殿の再建を果たす。 以来半世紀、永年の風雪に加え周辺の環境の変化により伽藍悉く老朽し、平成十四年現董第三十三世日生、日蓮宗立教開宗七百五十年の 聖日 を迎え、報恩事業として寺壇和融し寺観を一新す。 |
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概要 寺号 善立寺 山号 大光山 宗教 仏教 宗派 日蓮宗 経典 法華経 題目 南無妙法連華経 開山 壽仙院日得聖人 開創 天正十九年(一五九一年) 住職 新倉典生(第三十三世) |
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